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なぜ、子供達は飛び降り、首を吊り、投身して己の命を奪うのか?

『日本の子どもたち』
 というサイトから自殺をした子供たちの遺書をピックアップしてみました。

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●「うそをついてごめんね」「もういじめないでね。好きなマンガの本を棺の中に入れてれて下さい」
●「がんばれえ、みんな。ぼくはこれがげんかいです」
●「もう生きて行く自信をなくした」「もっと青春したかったのに」
●「みんなから白い目で見られ、生きていくには少しつらすぎる」
●「ぼくはときたまいじめられるし、学校に行くのがはずかしいから死に行きます。人間生活なんかもういやだ」
●「私はあなたたちを許さない」「もう、だれもいじめないで」
●「私は学校で友達から無視されています。原因はよくわかりません。ただわかることは、私が悪いらしいのです。だから、あやまってみました。でもゆるしてくれはいないようです。」
●「私が全部悪いんです。もう生きていく資格がないから死にます。」

などなど・・・・その他の子供たちの叫びである遺書の言葉達は後段で記載してあります。

上記の遺書・遺言から解ることは、全てではないが、

1)謝罪やいじめている相手への思い(=期待?)や時には、感謝の気持ちを残して、命を絶っていく子供たちがいる。
2)徹底的に自虐的になって己を追い込んでいる。
3)いじめは、上履きを隠すなどの実害でなく、無視されるという共認充足を直撃し、破壊する言動(排他共認の形成)であること。
4)異常に回りに気を使う子供たちが多い。死ぬ間際でも迷惑をかけないことを配慮している。
5)子供たちの中にルールがないから、いじめられるといやなので、傍観している友達も、いじめに加担するので、周りから全てに存在否定されるという思いになり、窮地に追いやられる。(表層的な仲間関係に終始している)

『なぜ、子供達は飛び降り、首を吊り、投身して己の命を奪うのだろうか?』

遺言・遺書の続きです。

●「言葉でのいじめを受けた」「望みどおり消えてやる」
●「おれは根性なしです。弱すぎる人間です」
●「先パイからのイジメみたいなのには、もーたえられないのよ」
●「無視された」「避けられている」「学校へ行くのがおもしろくない」
●「(いじめを)がまんしていたけども、やっぱりだめです」
●「あの4人にいじめられていた」「ぼうりょくではないけど ぼうりょくよりも ひさんだった」
●「ごめんなさい…疲れました」
●「部活に行きたくない」「部活で友達にはじかれた」
●「私をいじめた多くの方々へ 担任の先生へ おうらみします」
●「世の中がいやになった。先に休みます」
●「あいつらは絶対許さない。復讐してやる」
●「僕はもう疲れました」
●「死にたい・・・なんで人間はこんなにも弱いのだろう」「ただ傷が増えていくばかりだった」
●「肉体的にも、精神的にも疲れ果てたので、先に死なせてもらいます。最大の理由はA子のこと。まだムカツクよ。」「ひきょう者でごめん。だけど、もうたえられないんだよね。」
●「いじめられてもう生きていけない」「いじめが原因です。さようなら」
●「私はイジメにあっています」「学校で自殺します。気づいてくれない先生がにくい」
●「クラスでは「貧乏」や「泥棒」と言う声がたえず響いていて、その時は悲しい気持ちになります。それがもう3年間も続いていて、もうあきれています」
●「生きているのがこわいのです。あいつらは僕の人生そのものをうばっていきました。」
●「これで議長をやめられる」

子供たちにとっては、いじめの課題解決は目先ではない。しかし、一旦、その密室性から一歩抜き出ることで、解決することもある。私たち親から見たら、目先課題だと捉えられるものも、子供たちので世界では生死を分かつ、生存を直結するような圧力となっているのはなんでだろう。

仲間第一の絶対観念化から、脅迫めいた表層仲間空間が形成されているように思います。そこは、秩序のない、無法地帯の絶対逃避できない空間で、過保護に育った子供たちは、従うしか方法がないと思い込み、先生や親たちの「仲間達と上手くやりなさい」というお題目が更に、彼らを閉塞に陥れる。こんなに苦しんでも誰もわからない状況になると、全面閉塞→自殺なのだろうと思うが・・・

しかし、なんか足りない。それでも、自殺する前に、死に至る前に、子供たちには、密室を飛び出して解決できる方法がいっぱいある。ネットでも投書でもいじめ撲滅テレホンなるものでも、携帯でも、転校、引きこもり、登校拒否、退学などなど・・・・

死に行く側にも、やはり何かがあると思わざるを得ない。実現思考の健全な子供であれば、上記のように、いじめられても解決してゆくだろう。しかしそれができない。人間関係のちょっとした不安を大きく捉えてしまう親和不全の問題なのだと思います。それは密室家庭の中の子供と親の育児関係、教育を切開することで見えてくるのだと思います。次回はそこを追及したいと思います。
きっと、根本には、男女の性関係(一夫一婦制)が産む自己正当化の観念の問題が実は大きな問題となっている気がします。

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