今日は、11/21のエントリー「いじめの現状とこども達の可能性」 [1]に引き続き、「いじめ問題」に関する類塾ネット、るいネットの投稿を紹介します。
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■「いじめは良くない」だけを言い続けると、いじめが増える?! [2]
間違っている人を怒鳴ったら、それはいじめ?
自己中な人を仲間はずれにしたら、それはいじめ?
嫌いな人を無視したら、それはいじめ?
機嫌が悪いときに冷たくあたったら、それはいじめ?
・・・つづき [2]
■いじめ [3]
学校で、いま登校拒否をしている人がいます。
その人は、小学校では、自分より上の人がいないので
いじめられることがなかったのですが、
中学校では、他の学校からの人にも同じようにしたようです。
・・・つづき [3]
■自己中も、いじめも、なくすには? [4]
「自己中はよくない」これは正常な感覚だと思います。
「いじめはよくない」この気持ちもよく分かります。
・・・つづき [4]
■<真相>いじめ問題<その実態とは> [5]
最近かなり有名になってきているいじめの問題です。
今回はそのいじめの被害者・加害者・傍観者の3箇所から見てみたいと思います。
・・・つづき [5]
■いじめ問題 自己中なのは、誰? [6]
>いじめは傍観者の行動によりすべてがゆだねられていると言っても過言ではありません。
なるほど~!と思いました。とても分かりやすいですね~♪読んだ後、「傍観者が、いじめている側につくか?いじめられている側につくか?は一体、何によって決まっているのか?」が、気になりました。
・・・つづき [6]
■自己中を自己中で攻撃するのが「いじめ」では? [7]
いじめに関するみんなの投稿を読んでみると、いじめの発端は、ある人のちょっとした自己中な態度や発言がきっかけみたいですね。しかし、なぜいじめる側は「あなたのとった行動は自己中だから良くないよ」と言ってあげずに、「仲間はずれ」などの陰湿な方法をとるのでしょう?
・・・つづき [7]
■いじめに悩む人たちへ [8]
>共感の真髄は、そこにある。共感の生命は、相手(=自分)の期待に応望することによって充足を得ることである。こうして、不全感に苛まれ本能が混濁したサルたちは、その唯一の開かれた可能性=共感充足へと収束することによって、はじめて意識を統合することができた。(実現論1_4_05)
実現論のこの部分・・・いじめに悩む人たちに是非聞いてもらいたい。
・・・つづき [8]
■過激ないじめ報道が学級崩壊させる [9]
中学生だった頃、隣のクラスにお調子者の男子学生がいた。
彼はいつもみんなにからかわれていたが、ムードメーカーでもあった。
ある時「大河内清隆君という男子中学生が、いじめを苦に自殺した」という報道が、連日に渡ってなされた。
・・・つづき [9]
■“いじめをなくそう”ではなく“いじめに代る課題を” [10]
福岡の「いじめ自殺問題」を契機に、“いじめ”がまたクローズアップされている。相変わらず大人たちからは“いじめをなくそう”という発想しか出てこない。
・・・つづき [10]
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